静岡校
消えた路面電車を辿る静岡街歩き。「のじさんぽ」で昭和の記憶を再発見!
懐かしい風景や匂い、ささいな手触り。子どもの頃の記憶は、意外なディテールと共に鮮明に残っているものです。
私野路にとって、それは京都の路面電車「市電」です。小学校5年生、昭和53年に地下鉄に切り替わるまで、家のそばを路面電車が走っていました。車両の板張りの床を長持ちさせるための油引きの匂い。そして、なぜか必ず5円玉を持って乗ったことを覚えています。
なぜ5円玉だったのか?調べてみると、当時の小人運賃が関係していました。昭和48年からの運賃改定で、大人が50円→70円→90円と上がる中、小人運賃は25円、35円、45円と、10円単位に切り上げられなかったのです。だから5円玉が必須だったんですね。お釣りは出なかったのでしょうか?
静岡の街から消えた路面電車「静岡市内線」
実は、旧静岡市の路面電車は、京都よりずっと早い昭和37年に廃止されました。車社会の進展と共に、道の真ん中を走る路面電車は「邪魔者扱い」されてしまったのです。
この「静岡鉄道静岡市内線」は、静岡駅北口から御幸通り、本通り、茶町通りを通って安西までの約2キロを結んでいました。11月16日(日)開催の「のじさんぽ」では、この路面電車が走っていた跡を辿って歩きます。
街歩きの寄り道:茶問屋カフェ「茶町KINZABURO」
もちろん、ただ歩くだけではありません。途中、茶町通りのカフェ「茶町KINZABURO」にも立ち寄ります。
この店の母体は茶問屋「前田金三郎商店」。名物の「茶っふる」(柔らかなワッフルで産地別の抹茶クリームを包んだスイーツ)を1階で買ったら、2階のイートインスペースへ。そこでは、温かいものも冷たいものも合わせて10種類ほどのお茶が、なんとセルフサービスで飲み放題!さすがはお茶屋さんです。
あなたの記憶は「5円玉」? それとも「ミルキー」?
茶問屋の三代目・前田冨佐男さん(昭和34年生まれ)も、市内線の記憶は少ないながら、こう語ってくれました。
「祖父(初代・金三郎)と路面電車で街へ出て、ミルキーを買ってもらったのを覚えている」
ほら!やっぱり、子どもの頃の記憶はディテールに宿るのです。私は「5円玉」、前田さんは「ミルキー」。
「のじさんぽ」は、そんな路面電車と共にある、皆さんの中に眠るささやかな記憶を再発見できるような半日旅にしたいと思っています。
昭和を知らなくても大丈夫!明治の「Yahoo!知恵袋」?
もちろん、「路面電車なんて知らない」というアラカン(アラウンド還暦)より若い方々も大歓迎です。
「のじさんぽ」のコース上、御幸通りの歩道には「教導石(きょうどうせき)」という茶色い四角い柱が建っています。これは明治時代に使われたもので、石柱に質問や相談事を書いた紙を貼ると、分かる人が回答を書いて貼り直す、という仕組みでした。
まるで、現代の「Yahoo!知恵袋」みたいだと思いませんか? 知らない昔も、こうして今につなげて考えることができるのが街歩きの醍醐味です。
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【昭和100年ウォーキング企画】野路さんぽ
詳細を見る静岡校
開催2025年11月16日(日)
09:00〜13:00講師野路毅彦
SBSアナウンサー